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なぜ私がスポンサーを募り始めたか

稚拙さ

まずはこちらの発言を見てほしい.

実際のところ,長い間本当にこのように考えていました.
なぜなら自分に対する寄付をするよりも,コミュニティに対する行動をして欲しかったからです.
そのために行動を起こそうとしていた人を全力でサポートし,提案し,どうにか協力者を増やそうとしていました.

しかしこれにはいくつかの稚拙な深層心理と,コミュニティへの悪影響があることに気づきました.

責任逃れ

お金を受け取ってしまうと「やらなくてはならない」という責任感が多かれ少なかれ生まれます.
私はこれに限らず余計な圧力というのは徹底的に排除したいタイプでしたが,時にはその強制力を原動力に変換する力も身につけるべきです.
責任から逃げることもそうですが,変化に対する挑戦も怠っていました.
これは稚拙な態度だったと反省しています.

安売り

私は私自身に対していつも悲観的です.
これは良い側面もありますが,自分以外への影響を考えると後述の文化への悪影響にもつながることに気付かされました.
「自分なんかが活動に対する対価を受け取るべきではない」「そんなことよりももっと活動しないと」「とにかく,下手 (したて) に,下手に」「傲慢であってはならない」
そんなふうに考えていました.

文化への悪影響

ここからが本題です.
問題が自分自身に対して閉じているならわざわざブログにするほどでもないのですが,この気づきはコミュニティや文化を発展させる上で関係者が全員把握するべき重要なものだと思ったので書きました.
(ぜひ多くの人に届いてほしい)

簡潔に言うと,上記のような態度は文化を停滞させる方向に加担します.
私の理想の世界では,活動をした者は全員それに見合った対価を受け取るべきですし,またそれを原動力に変換して次の活動につなげるべきです.

昨今,OSS やメンテナの努力に対する報酬の希薄さについてしばしば話題にあがります.
OSS コミュニティはもっと経済が循環するべきだと強く思っています.

それなのに,自分が受け取るのをわざわざ断ったり,スポンサーを開けずに受け口を持たないことはこれに矛盾しています.
自分が活動すればするほど,経済循環のハードルを上げてしまい,文化としては良い状態にならないと思いました.

実際のところ,世界で活躍するコントリビューターの方々に比べると自分の活動はまだまだですし,私 1 人がスポンサーを開けたり開けなったりしてもそれほどの影響力はありませんが,それであってもまだまだなりに少々の対価を受け取ったり,積極的に募ったりして文化貢献をしていくべきだと思いました.
(小さく,自分の周りからでもそういう文化を育てていきたい)

額の大小はあるにしろ,活動に対する対価をみんなで支払っていくという文化はもっと前進するべきです.
受け取りを拒否すればするほど,受け取りや支払いのハードルは上がりますし,文化としても「まぁ,そういうもんか」という認知が広まってしまいますし,何より「オープンソースは無料で使えるものである」というよくある誤解を助長してしまいます.
これはあってはならないことだと思いました.

おまけ話

私がこのことについて考え直すきっかけを与えてくれたのは @ota-meshi さん (Vue.js Core Team Member) でした.
Vue.js の海外メンバーが日本に来るというのでオフ会をした時に ota さんと同席し,帰りの電車でこの話をしました.
自分の従来の考えを伝えると,「それは間違っているよ」と言われてしまいました.
考え直すと本当にその通りだと思いました.

また,「それはただの責任逃れなんじゃないか?」「あなたは自分を安売りしすぎじゃないか?」と言ってくれたのも別の知人でした.
それもその通りだと思いました.

私は自分 1 人で考えているとどうしても自分の事ばかり,しかも悲観的になりすぎでしまう癖が強くあるのですが,自分よりも先をいく先輩の話や,客観的に自分を評価をできる人,自分とは違う行動を取っている人と話すことの重要性を再認識しました.

きっかけをくれた全ての方々に感謝します.


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